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社訓十ヶ条

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2009.10.03(土)

戦国武将に学ぶ

[ 大阪スタッフ ]

「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」


この言葉、心に響きませんか?
この言葉は大坂夏の陣で徳川家康に死を覚悟させ、日本一の兵(つわもの)と呼ばれた真田幸村の名言です。
そしてこの言葉が真田幸村に興味を持つきっかけとなりました。

真田幸村の本名、信繁(のぶしげ)と言う名は武田信玄の弟の名前から決めたとされています。
その武田信繁なる人物は兄信玄の影武者の一人で、武田軍の陰の中核として活躍していたと伝えられており、幸村の父、昌幸は武田軍にいた頃、武田信繁を目標とし、尊敬していたことから次男にその名をもらったのだそうです。

父である昌幸も武田軍の智将として有名であり、武田氏滅亡後、一時は独立勢力を形成したが、厳しい戦国の世を生き抜き、真田家を存続させる為に手を打つこととし、長男の信幸を徳川方に、次男の幸村は豊臣方に人質に送るという措置をとりました。
このときの幸村は人質という立場にはあるが、天下人豊臣秀吉のもとでの生活が始まり、当時の文化の最先端である上方での生活は幸村の生き方や考え方が大いに刺激されたことであるといいます。人質というよりは秀吉のそばに仕える状態だったようです。

関ヶ原の戦いのとき,東軍と西軍両方から誘いを受けた真田家ですが,豊臣秀吉に恩義を感じる父、昌幸と幸村は西軍,徳川家康の養女(本多忠勝の娘)を妻にしている兄、信幸は東軍につくことになります。

幸村は大坂冬の陣の和睦の際に,兄を通じて徳川側から調略がかかるがこれを拒否。最初は信濃に1万石,次に信濃一国を提示されたが,「私が1万石では不忠もの(裏切り者)にはならないが,1国では不忠ものにでもなると思いましたか?」と言い、更には信濃の国はおろか、日本の半分をもらっても一度交わした約束を覆して裏切るようなことはしないという事を家康に伝えています。

幸村の隊は甲冑などの武具を統一する『赤備え』が有名ですが、『真田の赤備え』はかつて赤備えで活躍した武田氏の流れを汲む者であることを意識してのことだと言われています。

大坂夏の陣では旗をはためかせて家康本陣に突撃するのですが、幸村は徳川側に付いている兄、信幸を主家として立てることを忘れず、自分は真田家の旗(六文銭)を立てずに赤一色の幟を用いたそうです。


利害を超越した豊臣方への奉公、自分の益より主君への忠誠、武人としての生きざまに、敵味方問わず高く評価されていたようです。

私もこの真田幸村の生きざまに非常に共感しました。
今まで様々な方に出会い、学んだ事に感謝を忘れずに生きていこうと思いました。
正に義を貫いた生き方です。誰にでも欲はあります。しかし、自己の利益より大切な事もあるはずです。

冒頭に揚げた言葉を言い換えれば『利より義』
何事にも迷った時に思い出してほしいと私が入社した時から教えられてきた事と同じなのです。

今の時代を生きる我々も戦国武将に学び、活用出来る事がたくさんある事を改めて感じました。


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