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2013.04.10(水)

地元の歴史

[ 福岡スタッフ ]

皆様お疲れ様です。福岡店の田中です。

春は移動も多い時期です。地元(出身地)で勤務されている方、移動された方と様々だと思います。他の地に行く事は違う文化に触れ、新たな経験をする事で確実に自身の視野が広がり、成長に繋がると思います。私は福岡で生まれ育ち、関東、東海、関西と勤務し福岡に戻りましたが、とても良い経験、勉強、出会いがありました。学生の時から地元を離れ経験されている方もいるかと思いますが、地元を離れて生活する事は是非お勧めします。

話しはかわりまして、関東在住の時、福岡県博多市と間違える方が稀にいました。福岡以外の人、特に九州以外の人には「博多」の名前が通っているようです。というのも、福岡と地名が付いたのは江戸時代以降で、福岡市と決定したのは明治時代からなので、博多と呼ばれた時代の方が圧倒的に長いのです。
明治22年(1889)4月、政府から市制と町村制の公布が行われました。この1年くらい前から新市名を福岡市にするのか博多市にするのかで、大論争が巻き起こっていたのです。1889年4月1日現在で人口は博多部が25,677人、福岡部は20,410人で、そのどちらにも属さないところに1,530人が住んでいたそうです。もともとは博多と呼ばれていた地に、1600年、武将・黒田長政が先祖の地であった備前(岡山)福岡にあやかって、城下町の名前を福岡としました。それ以来、中洲を流れる那珂川を境に東を博多、西を福岡と呼ぶようになったのです。
 誇り高い武士の町・福岡と、古代から港を開き、商人の町として栄えてきた博多の地名を残す戦いです。住民も一歩も譲れません。翌年の明治23年(1890)2月の議会で議員の一人が「市名変更の議」なるものを出し、議論百出。議員は博多17名、福岡は13名だったのですが、大詰めの議会で博多部の議員4名が欠席(トイレに軟禁されたという噂も)、13票対13票の同数に割れたところで、旧福岡藩の武士だった議長が議長席を降りて1議員として投票。揉めに揉めた結果、1票差で福岡市になったのです。
その代わりということで、開通したばかりの鉄道の駅名は博多駅になりました。これがまぎらわしい福岡市と博多駅誕生です。博多駅に到着すると「はかた〜」という案内なので、旅行者にもここが博多なのか福岡なのかが分かりにくい。さらに、ホテル名も施設名も福岡部にあるのに「○○博多」と名付けられていたり、博多部にあるのに「福岡○○」というのもあったりします。
他の地に行くと文化や歴史を勉強しようと思いますが、意外に地元の歴史は知らない事が多く、他県出身者の方がその地域の事を覚えようとする為、地元の人より詳しくなる事もあるようです。私も以前は福岡の飲食店や観光スポット程度しか知らず、恥ずかしながら先述の福岡と博多の内容についても福岡を離れてから知りました。当たり前に育ってきた地で当時は特に疑問に感じた事もなかったのです。

今、地元を離れている方は改めて地元の歴史を見直されてはいかがでしょうか?今まで疑問に思っていたことでも大きな発見があるかもしれません。
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以上、学生保証のフォーシーズ福岡店田中のフォーシーズブログでした。

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